久しぶりの脳内会議である。
今日の議題は・・・・「なぜ私は磁器を選んだのか?」
いや、正確には「なぜ磁器が私を選んだのか?」かもしれない・・とカッコつけてみた(笑)
だって気づけばいつも、私はこの白い素材の前に座っているのだから。
磁器は石(鉱石)から生まれる。
山から削り出された陶石を砕き、水で練り、粘土にする。
一度、硬い岩だったものを、柔らかな命の素材へと変える。
そして焼成によって、再び石のように戻す。
つまり、磁器とは——
「岩がもう一度、自らの姿を取り戻す物語」なのだろう。
陶器が山土や田土など、風化し有機物を抱いた柔らかい素材からできるのに対し、
磁器は岩の構造がまだ強く残っている。
その“風化の度合いの浅さ”こそが、磁器の美しさと緊張感を生む。
陶器は人の生活に寄り添う。
しかし磁器は、どこか凛として、自然と人との間に立っている。
まるで「地球そのものが、もう一度姿を見せようとしている」ような素材。
私が磁器を扱うたびに思うのは、
「これは、自然の循環を人の手で再構成している行為なのだ」ということ。
岩が風化し、土となり、再び人の手で粘土へと練り戻される。
そのサイクルの最終章で、私は火を使って岩を「甦らせる」。
焼成とは、地球の時間をもう一度巻き戻すようなものだ。
地殻の記憶を、窯の中で再演している。
そう、窯とはタイムマシーンなのだ!!!——いや、違うな。(笑)
脳内のもう一人の私が言う。
「つまりお前は、地球の代わりに再び地殻変動を起こしているわけだね。」
・・・まあ、ちょっと大げさだけど、そういうことにしよう。
だから私は磁器が好きだ。
いや、好きというより、この素材に「導かれている」感覚がある。
磁器は清らかだが、扱いは厳しい。
少しの油断でひび割れ、歪み、砕ける。
でもその厳しさの中にこそ、真の静けさが宿る。
透明感や白の奥に潜む冷たさと温かさ——それは石が持つ時間の層なのだ。
陶器を悪く言うつもりはない。
陶器は土の優しさをそのまま留める素材だ。
地球の循環に溶け込み、自然と呼吸している。
だが、私が求めるのは「もう一度、石としての尊厳を取り戻す瞬間」。
だから私は磁器を選び続けている。
つまりこうだ。
磁器は“再び鉱物へ戻る行為”であり、私はその橋渡しをしているにすぎない。
火と水とロクロ回転の中で、
岩の記憶が形となって現れる。
その瞬間、私は確かに感じるのだ。
「石が、もう一度目を覚ました」と——いや、そこまでは感じないけど。。。
でも、そんな気配がある。
そして、だからこそ、私はいつも「磁器を使う意味」を確認しながら作陶している。
素材のルーツを見つめることは結局、
自分がどこから来て、どこへ向かうのかを見つめることと同じだからね。

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