私の白磁の表現には、二つの方向がある。
ひとつは、シルクのような光沢をまとい、優美な彫りと造形を備えた作品。
それはまるでクラシック音楽のように、静かな癒しを与えてくれる。
もうひとつは、大地の一片を切り取ったような、エネルギーに満ちた造形。
こちらはロック音楽のように、観る人に勇気を与える存在だ。
ある時、ふと考えた。
もしこの世界がモノクロだったとしたら、どうだろう。
シルクのような光沢――私の作品の象徴的な魅力――は、色を失えばその輝きをうまく伝えられない。
優美な形は残っても、同じようなもの、それ以上に上手い方は他にも存在する。
つまり、クラシック作品は「今という色彩ある世界」に支えられた表現なのだ。
一方で、ロック作品は違う。
たとえ色が消えたとしても、その造形の力強さは揺るがない。
私が本当に求めていたのは、この“不変の強さ”だったのだと思う。
クラシック作品をつくり上げたとき、
私は独自の白磁表現という“武器”を手に入れたように感じた。
しかし、次第に気づいた。
独特な武器を持っていても、戦い方――つまり表現の根本――が凡庸であれば意味がない。
私が本当に探していたのは、独自の武器ではなく、「独自の戦い方」だった。
どんな道具を使おうとも、自分だけの戦い方を持つ者は負けない。
それこそが、私にとっての“ロック作品”だ。
ようやく独自の戦い方を覚えたところなのだろう。
もちろん、この世界は色彩に満ちている。
クラシック作品は、私が好きな作風だし、多くの人にも愛される大切な表現だ。
けれども、根幹にある強さを宿しているのはロック作品なのだろう。
そして今、
クラシックとロックという二つの表現を併せ持つことで、
私はようやく、自分だけの旋律を奏で始めたのかもしれない。

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