先日、もう一つ歳をとってしまった。happy brthdayだったのだ。
時間が経つのが早くなった気がするな..。
さてさて、
定期的にやってしまうこと。
それは私のストーリーをおさらいすることだ。
きっと、年を重ねるたびに「今の自分」を確かめたくなるのだろう。
あの時の選択、あの瞬間の気持ち。
少し振り返ってみると、案外いまの自分の“種”は、ずっと前にまかれていたりする。
今この場所で僕こと私のことを自己分析することで今を知るきっかけにしているのだ。
さてさて……
物事の始まりには、きっかけがある。
私が今のスタイルで陶芸作家として活動するうえでもきっかけがあった。
しかし、それは一般的なきっかけとは少し違う気もしている。
たとえば、美術館で古陶磁の美しさに触れて「自分もこういうものを作りたい!」と思ったとか、
器が好きで作り手になったとか。そういう話ではない。
僕こと私の場合は、磁器粘土に触れたこと、それがすべての始まりだった。
何者でもない、毎日「今日は何して遊ぼうか」しか考えていなかった幼少期。
父からもらった磁器粘土で遊ぶのが何よりも好きだった。
おそらく当時はアニメのキャラクターなんかを作っていたのだろうけれど、
そんなことはどうでもいい。
私が夢中だったのは、キャラクターづくりではなく、
白くて、なめらかで、やわらかい磁器粘土そのものに触れていることだった。
その感触がたまらなく心地よかった。
あの頃、何者でもない、どこにでもいるようなちびっ子は、
白く輝く粘土に触れながら、不思議な感動に包まれていた。
さらに、あの粘土が真っ白な石――いや、真っ白な岩を砕いて作り出されることを知り、
触れて、ますますその不思議さに心を奪われた。
けれど、そんな少年も中学、高校と進むにつれて、陶芸や有田焼が嫌いになっていった。
その理由は、周りの大人たちが口にした「跡継ぎ」という呪文のせいだった。
本人たちは軽い気持ちだったのかもしれないが、
その言葉は何者でもないゲーム好きの少年には重すぎた。
だから、進学するたびにできるだけ有田から離れようと思っていた。
大学に入ってからは楽しくて、呪文の効力も薄れていた。
しかし、4年生になり就職活動の時期が来ると、また現実が顔を出す。
みんなが就活に動く中、私は何もしていなかった。
心のどこかで「継がなければいけない」と思いつつも、逃げていた。
ただ、両親は何も言わなかった。
むしろ周りが勝手に言っていただけで、それが余計に申し訳なく感じたのかもしれない。
そんなふわふわした気持ちのまま大学を卒業し、最終的に地元の窯業専門学校に通うことになった。
正直なところ、「あと2年は学生として遊べるぞ!」という軽い気持ちだった。
今思えば、薄っぺらい学生だったなと思う。
専門学校には父を知る講師も多く、脳内テレパシーで
「庄村さんとこの息子、どれほどできるのか?」
なんて声が聞こえてきた気がした。
当然、何者でもない陶芸素人の私は、最初のろくろ授業で挫折した。
思い出すのは“汲み出し茶碗100個を同じサイズで作る”という課題。
間に合わないので、休日に隣町の施設を借りて必死に仕上げた。
結果、同じサイズかどうかはご愛敬だったが、なんとか提出できた。
その頃には、呪いの呪文から「逃げる」ではなく「立ち向かう」気持ちに変わっていた。
つづく.....

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