前回の続きです
卒業後は通っていた学校の助手として2年間働き、空いた時間にろくろの修行と釉薬テストを繰り返した。
実家に戻ってからも、父の手伝いをしながら試行錯誤の日々だった。
そんな中、初めて公募展に出した作品は乳濁した青い釉薬のものだった。
いくつかの賞ももらったが、呼ばれるのは「庄村健さんの息子」。
それが妙に心に刺さった...。
気づけば作品も父に似ていた...。
方向性が同じでは勝てない...。
そう思った私は、これまでのすべてを捨てる決断をした。
数年かけて完成させた釉薬も、形の作り方も全部やり直した。
憧れの作品も持たず、ゼロから考えたとき、ふと幼少期の記憶がよみがえった。
あの感動を形にしたい――そう思って選んだのが白磁だった。
全行程を見直し、納得のいくやり方で作った。最初は一般的なマット釉の白磁。
独自の形と表現を追求し、周りの先輩たちに何を言われても無視して突き進んだ。
その結果、初めて全国公募展に入選した。
何者でもなかった自分が、ようやく何者かになれる気がした。
それでも、幼少期の感動を完全に形にできたわけではなかった。
試行錯誤を続けるなかで、黒田泰蔵氏の作品に出会い、そこから学び、
導かれるように完成したのが独自の白磁釉薬だった。
磁器粘土から釉薬を生み出し、シルクのような光沢を持つやさしい白を作り上げた。
それが私の代表作となり、ようやく「庄村久喜の白磁」として認知されるようになった。
しかし、まだ足りなかった。
原石への想いを形にしたかったのだ。
それから10年以上、試行錯誤し、コロナ禍の家籠り期間でも思考を巡らせていた。
そしてある酒の席での毒舌トーク(内容は割愛します(笑))からヒントを得た。
白磁の“引き算の美学”に対して、“足し算の美学”があってもいいのではないか――そう考えたのだ。
そこから生まれたのが、ろくろで形を作り、その外側に磁器粘土を纏わせる技法。
形を削って「引く」ではなく、粘土を「足す」ことで新たな造形を生み出す方法だった。
結果として、大地の一片を切り取ったような力強い造形が生まれた。
原石への想いがようやく形になった瞬間だった。
……が、これがまた大変なのです。
時間が通常よりも3倍くらいかかり、歩留まりは10個中2個取れれば良いというほど...
もう、笑うしかなかった。
それでも、少しずつコツをつかみながら続けている。
時間短縮も歩留まりも、まだ課題のまま。でも、焦らずいきたい。
何者でもないあの幼少期から始まり、あの感動を形にするまで約20年。・・・長かった。
でも、この二つの表現――シルクの白と大地の造形――には、まだまだやりたいことがある。
教科書通りの陶芸ではなく、自分の思考で、自分の正解をつくる。
誰かのレールではなく、自分のレールを敷く。不安もあるが、それ以上に楽しみだ。
そして、その歩みこそが、自分を「何者か」へと育ててくれるのだ。
よし、脳内整理完了。 またいつか、整理する日まで。

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