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父のことを語る

 

父、庄村健は六人兄弟の五番目として生まれ、家では長男として育った。

 

中学生の頃に父(私の祖父で、3代目窯主)を亡くし、

その出来事がきっと「生きる」ということを早くに意識させたのだと思う。

 

有田工業高校の窯業科を卒業し陶芸の道へ進んだ父は、

最初から磁器の人だったわけではない。

 

一年ほど、唐津焼の丸田正美さん(丸田宗彦さんのお父様)のもとで陶器を学んでいる。
素朴な土の感触は、今も父の中に残っているように思う。

 

その後、白磁の人間国宝・井上萬二氏のもとで修業した。

 

井上門下の弟子は数百人とも言われるが、父はその中でも特に評価されていた。
とはいえ、父自身は修業時代のことをほとんど語らない。

 

「毎日、ろくろを回していた」──ただ、それだけを淡々と言う。

 

三十歳のとき、日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞した。
受賞作は白磁の鉢。無駄を削ぎ落した潔い形だった。

 

当時の有田ではまだ珍しい作風で、

後に似た作品をつくる人が増えたが、父は模倣を気にする人ではない。
視線はいつも、次へ向いていた。

 

そこで生まれたのが「藍染」。
青を重ね、釉薬の中に深い世界が浮かび上がる。
海の底を覗くようでもあり、空の奥を眺めているようでもある。
このシリーズは、今では大英博物館にも収蔵されている。

 

さらに「紅染」という技法も生まれた。
夕焼けを思わせる温かい赤の作品で、

その始まりは、広島カープの衣笠祥雄選手からの依頼だったという。

 

「カープの赤で、藍染のような作品を」。

 

そのひと言から生まれた紅染には、挑戦を楽しむ父らしさがよく表れている。

これら藍染、紅染の作品で、その後、様々なコンテストで大賞を取りまくっていった。

 

父のすごさは、やはりそのろくろの技術だ。
陶器も磁器も自在に扱い、形にするためなら手段を選ばない。
考え方が柔らかく、枠に囚われない。

その技術と姿勢は高く評価され、父は現代の名工の称号を得て、黄綬褒章を授章した。

 

そんな父は、私に対してほとんど口を出さない。
良くても悪くても、何も言わない。
私が必要なときに問いかければ、ゆっくり言葉を選んで教えてくれる。
その距離感が、私の自由な発想を支えてきた。

 

今は、長い間走り続けてきた父にかわり、私が先頭に立って仕事をしている。
父には、自分のペースでゆっくり楽しんでもらいたいと思っている。

 

 

父が積み重ねてきた時間の大きさを思うたびに、自分はまだ道半ばだと感じる。
それでもいま、工房で向き合う土の感触には確かな手応えがある。

 

自分の歩幅で、一つずつ形にしていけばいい──

 

そう思えるようになったことこそ、

父と共に過ごしてきた時間が与えてくれた、何よりの贈りものだ。