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粘土様に支配される日々

 

 

陶芸作品は、季節商品ではない。
一年中、変わらず作り続けている。

 

けれど、制作のリズムは季節によってまるで別人になる。
梅雨は乾かず、夏は乾きすぎ、冬は寒さで思うように進まない。
窯もまた、こちらの都合などお構いなしだ。

 

夏はなかなか冷めず、
冬は驚くほど早く冷める。

 

まるで、気分屋の友人と付き合っているようなものだ。

 

作業自体はシンプルだ。
ロクロで形を作り、乾きを見極め、削り、焼く。

 

工程だけ見れば、決して複雑ではない。

 

だが、この中にひとつだけ、見えにくい関門がある。
「乾き具合を見極める」という工程だ。

 

ここを外すと、後工程がすべて崩れる。
修正の連続になり、気がつけば夜中までロクロに向かうことになる。
時間だけが、静かに消えていく。

 

だから私は、結局のところ
粘土に合わせて生きている。

 

朝も昼も夜も、曜日の感覚も曖昧になる。

 

けれど不思議なことに、
カレンダーだけはよく眺めている。
意味があるのかないのか、自分でもよく分からない・・・

 

とはいえ、社会の中で生きている以上、
他人と同じ時間軸に合わせる必要はある。
ただ、その調整がうまくいくことはほとんどない。

 

若い頃、外国人の友人によく言われた。

 

「ヒサキ、いつも忙しいネ」
そして続けて、少し得意げにこう言う。
「ヒソガシイ、ネェ!(笑)」

 

そのたびに、私は心の中で思っていた。
……いや、「ヒそがしい」って何だよ・・・と。

 

そもそも私は、忙しいわけではない。
ただ、皆と同じペースで時間を作れないだけだ。

 

平日の昼間に、ぽっかり時間が空くこともある。
けれど、その隙間はだいたい雑用で埋まっていく。

 

結局、何も変わらない。
粘土の都合が、生活の軸になっている。

 

だからこれからも、
陶芸を続ける限り、私は粘土に翻弄されながら生きていくのだろう。

 

忙しいわけでもない。
怠けているわけでもない。

 

ただ、粘土の機嫌に
人生が左右されているだけだ。

 

それでも、

 

こういう日々も、悪くない。

 

毎日が少しだけ読めない、小さな冒険の連続だからだ。