
先日、長男と武雄神社へ行った。
もともと予定していたわけではない。妻と次男の用事もあり武雄図書館へ向かっていた途中で、
長男がふと「行こうかな」と言い出した。その一言で、私も一緒についていくことにした。
武雄神社の存在は、以前から知っていた。
けれど、近くにあるからこそ「いつでも行ける」と思い、これまで一度も足を運んだことがなかった。
そういう場所は、案外多いのかもしれない。
神社の近くには、観光バスも停められる広い駐車スペースがあった。
その様子を見て、正直なところ「そんなに有名な神社なのだろうか」と少し不思議に思った。
境内へ入ると、決して大きな神社ではない。けれど、お札やお守りを授与する場所もあり、参拝者の姿も見える。
小さいながらも、どこか活気がある。静かすぎず、賑やかすぎず、ちょうどよい空気が流れていた。
奥へ進むと、「樹齢三千年の大楠」の案内板があった。
その時はまだ、正直そこまで大きな期待はしていなかった。
「へえ、そうなんだ」くらいの気持ちで、長男とさらに奥へ歩いていった。
その道筋もよかった。
竹林があり、もみじがあり、季節が変わればまた違う表情を見せるのだろうと思わせる風景だった。
春もいいだろうし、秋はきっとさらに美しいだろう。
そんなことを考えながら進んでいくと、奥にその大楠が現れた。

見た瞬間、思わず感動してしまった。
この大楠は、全国巨木第7位に数えられ、樹齢3000年以上、市の天然記念物にも指定されているという。
けれど、そうした説明を頭で理解するより先に、目の前の存在そのものに圧倒された。
とにかく大きい。
もちろん、実際の大きさそのものが圧倒的なのだが、それ以上に、自分の感覚の中でさらに大きく感じられた。
目の前に立つと、ただ「大木」という言葉では足りないような、何か別の存在感があった。
そして不思議なことに、包まれるような感覚があった。
三千年という時間を生きてきた木。その長さを思うと、ただ神秘的というだけでは済まない。
人間の一生など、その前では本当に一瞬なのだろうと思う。
この木は、これまでどれだけ多くの人を見てきたのだろう。
どれだけ多くの時代を通り過ぎてきたのだろう。
人が生まれ、悩み、争い、祈り、喜び、また去っていく。
その移り変わりを、ずっと黙って見てきたのかもしれない。
もしこの木に心があるなら、人間のことをどう見ているのだろうか。そんなことまで考えてしまった。
ほんの少し立ち寄っただけのつもりだった。
けれど、気がつけば、いろいろなことを考え、そして心が癒される時間になっていた。
予定していなかったからこそ、なおさらよかったのかもしれない。
自分一人だったら、たぶん今日も行かなかっただろう。
そう思うと、突然「行こうかな」と言い出した長男に感謝したい気持ちになる。
近くにあるのに行ったことがない場所。
いつでも行けると思っていた場所。
そういうところにこそ、案外、自分に必要な時間が待っているのかもしれない。

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