先日、仕事で秋田県を訪れた。
有田を朝7時に出発し、宿泊先の秋田駅付近に着いたのは16時ごろ。
途中の乗り継ぎや移動を含めると、ほぼ丸一日かけての道のりだった。
地図で見ればひとつながりの日本列島も、実際に自分の身体で移動してみると、
その距離と時間の重みを強く感じる。改めて、日本は広いのだなと思った。
秋田に着いた頃には、さすがに少し疲れていた。けれど、その疲れの中にも、遠くまで来たという実感があった。
仕事で各地を訪れることはあるが、土地が変われば空気も変わる。
駅前の雰囲気、街の広さ、人の歩く速度、聞こえてくる言葉。そういう細かな違いが、静かに自分の中へ入ってくる。
翌日からの二日間は仕事だった。
仕事は仕事で集中して向き合うものだから、その間はゆっくり土地を味わう余裕はない。
けれど、遠くの土地で仕事をするというのは、ただ用事をこなすだけではない気がしている。
仕事をきっかけに、その土地に自分の足で立ち、その空気を吸い、その場所の時間の流れに少しだけ身を置く。
そういうこともまた、移動を伴う仕事の価値なのだと思う。
そして帰る日。
飛行機などの都合で、お昼過ぎまでは少し時間があった。せっかくならと思い、
秋田駅周辺を歩いてみることにした。
訪れたのは千秋公園と秋田市民市場。
観光名所をいくつも回るような時間はなかったが、私にはそのくらいがちょうどよかった。
短い時間の中で、その街の輪郭を少しだけ感じられれば、それで十分だと思うことが多い。
千秋公園では、大きな木々がとても印象に残った。
秋田藩主・佐竹氏の居城であった久保田城の跡地で今はきれいに整備され、公園としての自然の美しさがしっかりと感じられる場所だった。
歴史のある場所をゆっくり歩きながら、木々の間を通る風や、足元の落ち着いた空気に触れていると、気持ちが少しずつほどけていく。
街中にありながら、そこだけ時間の流れがやわらかいように感じられた。
その後に立ち寄った秋田市民市場もまた、とてもよかった。
市場という場所は不思議で、何かを買うつもりがなくても、歩いているだけで楽しい。
そこには観光地として整えられた表情とは少し違う、その土地の日常がある。
地元の人が普段の買い物をしていて、店の人とのやりとりがあって、品物の並び方にも土地柄が出る。
そういうものに触れるのが私は好きだ。
秋田市民市場には、沖縄の牧志公設市場に通じるような雰囲気を少し感じた。
もちろん土地も文化も違う。けれど、市場独特の人の営みがぎゅっと集まっている感じにはどこか共通するものがある。
観光のためにつくられた場所というより、日々の暮らしの延長としてそこにある空気が感じられた。
市場を歩いていると、お弁当が売られていた。
特別なお弁当ではない。おそらく地元の人が普段から買っていくような、ごく日常のものだったのだと思う。
けれど、私はそういうものに強く惹かれる。地元に根づいたスーパーや個人商店で売られている惣菜やお弁当には、
その土地の暮らしがそのまま詰まっているように感じるからだ。
だからこそ、その市場の中で昼食をどうするか少し迷った。
お寿司屋さんに入るのもいい。でも、地元の人がいつものように買っていくようなお弁当にも強く心を引かれた。
結局、お弁当を食べる場所がなかったので、その日は市場の中にあったお寿司屋さんに入ることにした。
隣の席には、地元の方なのだろうと思われる年配の女性が二人で座っていた。
市場で買い物をしたついでに食事をしているのだろうか、常連さんのような自然さがあった。
特に会話を聞こうとしていたわけではない。ただ、店内にいると自然と耳に入ってくる話し声がある。
その抑揚が、とても心地よかった。
秋田弁と言っていいのだろうか。
やわらかくて、丸みがあって、どこかあたたかい。
言葉の意味をすべて拾っているわけではないのに、その響きだけで、その土地の空気が伝わってくるようだった。
これは沖縄で沖縄の言葉を耳にしたときにも感じたことだ。
方言というのは、単なる言葉の違いではなく、その土地の時間の流れや人の距離感までも含んでいるのかもしれない。
そしてふと、自分のことも思った。
私は佐賀県の中でも田舎の町、有田で暮らしている。
自分にとっては聞き慣れた佐賀弁や有田の言葉も、あまりに日常すぎて、普段は特別なものとして意識することがない。
けれど、秋田で方言の響きに心地よさを感じたとき、有田を訪れる人たちもまた、
同じように土地の言葉からその土地らしさを感じているのかもしれないと思った。
そこに暮らしている側にとっては、あまりにも当たり前で、価値として意識しないものがある。
けれど外から来た人にとっては、その土地の空気や人の気配を感じる大切な要素なのだろう。
方言もまた、景色や食べ物と同じように、その土地にしかない魅力のひとつなのだと思う。
公園を歩いた時間も、市場のにぎわいも、売られていた何気ないお弁当も、寿司屋で聞こえてきたやわらかな秋田の言葉も、
どれも大きな出来事ではない。
けれど私が旅先で心を動かされるのは、案外こういう何気ない普通の風景なのだと思う。
名所や特別な体験だけではなく、その土地で普段通りに流れている時間や、
日々の暮らしの延長にふれたときにこそ、その土地の輪郭が見えてくる。
秋田で過ごした短い時間は、そんなことを改めて感じさせてくれた。

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